日雇い派遣 歌舞伎町での雑魚寝生活
10年位前に地元に帰りたいという気持ちがあり、
Uターンしました。
地元に帰って5年、まともな仕事が無く、「こりゃいかん」と仕事を求め、東京に仕事探しに出た時期があります。
東京に行けば仕事がある。
行けば何とかなるさで東京に出ました。
まずは当面の仕事と寝床を見つけようと、日雇い派遣に登録しました。寝床はビデオボックス、ネカフェ、カプセルホテルに泊まっていました。
日雇い派遣の仕事は、会社の移転、模様替え等でのネット配線の貼り直しや物の運搬、イベント会場の設営、中古インテリアオークションの運営等をやっていました。
日当1万円あるかないかの仕事です。景気もそれほど悪くなく、仕事は結構ありました。
昼と夜中のダブルヘッダーなんかもありました。
こういった派遣の仕事は電話をして応募するか、メールで応募するかが、基本でした。
仕事は、リーダーにまず声がかかります。誰をリーダーにするかは、派遣会社が選びます。
リーダーといっても自分達と同じ派遣です。
この時にリーダーが誰々さんも同じ現場に回してというと、その人が優先的に仕事につけます。
他の募集人員については、電話やメールで応募した人になります。
仕事に当たり外れがあるため、リーダーに選んでもらうのが、凄く重要になります。
電話応募で決まった現場に行くと、自分以外の全員がチョンマゲ頭でミュージシャングループかなという時がありました。おそらく一人足りなかったんでしょう。
非常に仕事し辛かったです(T_T)
私も気の合うグループに入れてもらう事ができて、ある程度仕事を回してもらえるようになりました。
田舎から仕事探しに出てきて、歌舞伎町でホームレスをしているというと、可愛がってくれる方が結構いらっしゃいました。
都会は冷たいかと思っていましたが、人情味があるなと感じていました。
一方で棲家ですが、歌舞伎町に雑魚寝部屋を見つけたので、そこに泊まる事が多くなりました。
ベットが八台位ある部屋で、映画に出てくる戦争前線の診療所みたいな所でした。
フォレストガンプに出てくるような感じです^_^
そこに泊まっている人は、飲みに来た人というかは、自分と同じ流れ者のような方が多かったです。
テレビ部屋があり、話している感じからも、テキヤの人かなぁって感じる人をよく見かけました。
就職の方は決まらず。派遣の仕事ばかりをしていました。季節が変わると、徐々に仕事が減っていき、なし崩し的に地元にまた帰る事になりました。
それから、地元で仕事が決まり、今の生活をしている状況です。
一応食えようにはなりました。